塾長の部屋

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2017年
2022





2022年   


3月6日      受験生にエールを

1日に学校以外で夢中で8時間勉強する子もいます。眠たい目をこすりながら毎朝5時に起きて入試に備えている子もいます。スマホなしでは生きていかれないと言っていた子が、スマホと縁を切り、入試に一途に向き合っています。その姿はまるで神が宿っているかのようです。どんなジャニーズよりかっこいい!
 しかし、そのゴールへ続く一本道に至るまでの、一人で悩んだり苦しんだり迷ったりした中に、ほんのわずかだけれど、努力の喜びをとても大事にした事。その経過を全て受け入れて、次に進む自らの道を目の前に作った事の方が本当はスゴイことなんだよ。でもね、その時に家族は陰ながら応援してくれていたんだ。もう、自分を信じてよいよ。もう何も怖くない。みんなが応援しているぞ フレー!フレー!! ガッツだ受験生


1月18日

 とうとう「with コロナの時代」となりました。収束となるのはもっともっと後となるのでしょう。中国の大きな都市造成のための土地開発で、人里離れた森林の伐採により、人間と触れ合う事のなかった動物に潜んでいたウィルスが元凶ともいわれています。自然と共存するという人間に定められた生活基盤をも顧みない、人間の強欲さを思い知らされます。

多くの犠牲を伴って、一縷の不安を抱えながらも、やっと一息ついてそれぞれの未来を描き始めていましたのに・・。

 もう多くは望みません。どうぞ神様これだけは、お聞き及び下さい。お賽銭は少し多めにお供えさせていただきました。誰が聞いても、万人のためとなる明るい未来を築いていくためには、「子達のいつまでも続く元気や笑顔や希望」が必要です。どうぞこれをかなえて下さい。
  どうかどうか宜しくお願い致します。


9月27日
 夏休み前に、小4の子達が一生懸命に『県名』を暗記していました。早期に覚えてしまう子は、塾に来ると、それに取組んでチェックを求めてきましたし、家でもやっていたようです。明らかに、一定の期間やり続けることが、忘れている時間を少なくすることが必要なようです。いったん覚えた切ったものはもう忘れません。

「こんなん覚えて、何になるん。」とスマホを片手に尋ねてくる中学生もいます。その通りです。そこへ行くだけなら、スマホで調べて行けばよいのですから。しかし、自分たちの楽しい旅行を企画するとなると、行程・料金や観光地やおいしい食べ物など、色々な事をいったん頭に入れておく必要があります。そうして、後は取捨選択する作業で最善の旅行の企画が完成です。

「県名」だけでは用は足りませんが、他のあらゆる物が一つの場所に集まり「記憶」という記憶の一つ一つがすべてつながり、材料が揃った時に、一つの自分の世界が出来上がります。自分の視野が大きく広がり、今まで見えてこなかった一つの大きな全体がハッキリと見えてくるようにもなります。スマホには、いろんな種類のメモリーが入っているから、みんなの役に立ち重宝されているのです。でも、スウィッチを入れるのも、切るのもあなたたちの気持ち次第なのです。

 8月4日(水)
昨日 33年前の中3の女の子(言い方があるなあ)から「たくさんの生徒がいましたから、覚えておられますか。」と遠慮がちに電話がかかってきました。忘れるはずもありません。高校入試を迎えるわずか1か月間の事でしたが、中学校からは無理だと言われていた状況を制服に包まれていたエネルギッシュなパワーで見事乗り越えた子だったのですから。こちらは周りが見えず彼女のご家族の事にも考えが及ばず、ただただ突っ走るだけでした。その期間中は授業が終わってから、一緒に夜12時過ぎまで熱心に取り組み、まだ明かりが灯る家にバイクで切る冷たい風に二人で震えながら送る毎日でした。合格発表の1週間前から胃がキリキリと痛み、当日を迎えましたが、うれしい報告にただただ二人とも涙が止まりませんでした。

 花火はいったん火をつけると、もう止まりません。どの子も熱くもえる時には、必ず燃え上がる。その火がつくまでに、準備を整えていく期間があり、その子の求める反対の方向に引っ張る機会さえ持つこととなります。しかし、意志を決して一歩を踏み出す時に、その子の目の端に居られるチャンスは神様が下さったものに違いありません。


6月2日 親友がコロナから復帰して『鉄人ポリリン』になった。

こういう状況の中での『東京オリンピック日程』が間近に迫っています。医療従事者の方たちのさらなる疲弊もいかばかりかと気をもむばかりです。分かっていたのだから、必死になって国民をまず守る姿勢をいまだに見せない政府に、今更にがっかりします。何百万人に一人という自分の生まれ持った才能に気づき、それを最大限に発揮するために、努力と鍛錬の日々を送ってこられたアスリートの方々にはその機会が与えられるべきであると考えます。しかし、大きな組織や政府の一部が自分たちの権益を守るためだけに、他の事を顧みず無理強いする発言を耳にすると、「せっかくの五輪なのに・・」と夢が覚めてしまうようです。もともとアスリートであった組織委員長や会長さん、少なくとも、どうぞ初心を忘れないで下さい。そうでなければ、どんな形にせよ他に類を見ないみごとな感動を与える『五輪』を開催することはできないのではないでしょうか。  





2月15日
 『ヤッターッ
しばらく、さわることもできなかった、あきらめかけていた“ホームページ”
やっと更新できました。
 卒塾生の、もう大学院生でもある子からの有難い声掛けで、その気になり、できないと決め込んでいた重い腰を上げることができました。『新しいホームページ』は彼が忙しい中、斬新的なデザインにしてくれました。
 古い方の“ホームページ”は自分の手でやっと更新ができました。あれもこれも、あちこちと具体的に始まる作業はいつ終わることも分からないままでしたが、一つ一つクリアしていく毎に達成感がありました。もう何日もかかっているけれど、一つ一つの小さなゴールのはるかかなたの遠くではありましたが、本当のゴールがありそうだと信じられて進めてきました。有難う!とうとう行き着きました。 









2017年

《9月》
60年前には「夢」でしかなかった事が、今ほとんど日常化していますが、目まぐるしく変わっていく世の中に戸惑うこのおじさんは体感なくただ知識として受け容れるしかありません。しかし、時折みる、テレビでのあの懐かしの歌や服装は今から見ればあたかも化石のようです。世の中は想像もつかない向きへあっという間に変わっていく時があります。こんな大きな石はこわれるわけがないと勝手に思い込んでいる常識が覆されてしまいます。時代も変わるし、インドだって島だった。しかし、古代より累々とつながっていく人類にとって変わらないものだって必ずある。
 中学生が自主的に居残り補習をして、苦手にしている数学に取組んでいます。そばで見ていると、ちゃんと知識は頭の中にあるんですが、もがき苦しんだ時間が長かったのでしょう。そのやってもできないという自信のなさが頭の中で重いふたをしています。その重いものをはねどけようと決意したのですから、そのパワーたるや並みの事ではありません。その事が全てです。そしてそれはすでに解決へと進んでいる証拠です。しかし、苦しみながら自分と闘っているのだから早く解決したいとの焦りが、さらに自分を傷つける悪循環にも陥ります。これはすでに頭の中にある「基礎」をおろそかにしている時に誰にでも起こりやすいものです。こんな時は欲張らずあせらず、「基礎」をしっかり定着させて、そこができている自分に喜びを感じさせる事やそこに「楽しみ」を持てる事が唯一の解決策だと考えます。
 どんな事に立ち向かうにしても、自分を信じて決してマイナスではなく「0(ゼロ)」からのスタートができること、その「元の気、元気」が大きな「夢」を持つ一歩となると気づくはずだとあの子達を信じています。

 

《8月》
長い夏休みも、気がつけば秋の気配を迎えると共に終わってしまいました。朝から元気な子達の声とあぶら蝉の声を一日中聞かせて頂いていたのに、少しさびしい朝のコーヒータイムを過ごしています。9月で、この仕事に就いて37年になります。そして、この塾もお陰さまで22才となります。先日も8年ぶりに28歳の卒塾生から「新聞記者として、元気に過ごしている。」との懐かしい中学生のままの電話の声がありました。この女の子ともその当時互いに衝突もありましたが、互いに相手を認め合うことができていたから解決できたところだろうと考えます。しかし、全ての子にそれが起こっていたわけではありません。先日、雑誌の中に「能楽」の世阿弥の書「風姿花伝」の“初心を忘るるべからず”の解釈が書いてあり、「最初の頃の間違い・失敗を忘れてはいけない。」という意味だと、今までの自分の理解と異なる事を教えてくれました。今でもそうですが、振返ってみると間違いや失敗だらけの事でした。小6の男の子から収入の「収」の書き順の指導を受けました。今まで間違って覚えていたのです。はずかしい!でも、また一つ知恵になった事にこの年になっても自分をほめてあげられます。世阿弥はこんな事を言いたかったのではないのでしょうが・・。


〈5月〉

先日5/28()は小学校の運動会でした。4・5日前から小学生の中ではその話題でもちきりでした。小5のわんぱく坊主達から「来てくれるんじゃろ!」「応援団じゃけ、見に来て!」と何度もうれしいお誘いをもらいました。「中学生のテスト対策の日じゃけ、時間に工夫ができたらね。」。それを中学生に話したら、「行ってあげんさい。少しの間なら、自分らは大丈夫じゃけ。」とうれしいお言葉を頂きました。その当日、応援団は昼からと見当をつけてカメラ道具や日よけの帽子を準備をしていましたが、部屋いっぱいにいる中学生からは○×つけや矢継ぎ早の質問があり、途切れたらと考えているうちに午後4時となってしまいました。ごめんね。さぞかし小さな身体を張って精一杯活躍をした事でしょう。たくさんの汗や元気な声をふりまいた事でしょう。少し遠かったけれど、おじさんも応援しとったけえ、許してね。

〈2月〉
二人の中学受験生は自分の中にわき起こる不安や焦りに惑わされながら、周りの励ましに支えられ、打ち負かされず、自分を信じて日々の歩みの中に喜びを見出して来ました。そして二人とも見事ゴールへ到達しました。「おめでとう」そして、たくさんの元気をありがとう。

塾にはまだ中3の高校受験生が控えております。彼達の事を振り返って見るにつけても、今はしっかり自分の目標が自分の行動の方向と結びついているなあと感心します。もちろん、受験生について回る心の中の迷いも悪魔からの甘いささやきもあります。本当に目を覚ますには自分を信じるほかはありません。しかし、悪夢にうなされ続ける事もあります。気がつかれた時は見過ごさず、ご家族の方からの「あなたを信じているよ。」の一言が彼らを救います。


〈2月〉
 何年かぶりに、更新をしました。自分で作るとなると、一からですから、大変でした。しかも、手探りですから、思うようにはできません。まどろっこしいですが、何とかやっていきます。




2008年


〈2月〉
 保護者面談の最中です。塾生の事を色々とお話頂き、いらない心配をしていた事に気付き 、改めて彼たちを見直すことも多々あります。そして、ほっとできます。自己の考えを生 徒に話すことはしても、押し付けるのはやめようと考えさせられるのです。そういう場が ある事はとても有難いことですね。

 新しいホームページができました。ほとんど知らない間にスタッフ皆さんで協力して作成してくれました。なにか気づきやお知らせがあれば、日記としても書き込んでいきますので、また、感想をくださいね。よろしくね。


〈4月〉
 昼、塾でボーッとしていたら、平成7年時 矢野中3の卒塾生が久しぶりにやってきてくれました。彼も28歳で、今年の7月に父となるとのこと。大学の時、講師をしてくれていましたが、中学以来何ら変わることのなかった天性の明るさを持った青年で、いつも笑顔です。仕事も長時間勤務で、責任のある仕事をしているようですが、「おもしろいんよ、先生」と言っていました。何にでも楽しさを見つける塾生でした。この事が、彼の子供に伝わっていくのでしょう。川北は彼達に何を伝えたのでしょう。12年前の自分をほめてくれる人など、他にはありません。百の失敗をしながら、一つ経験を積んでいったんですが、その失敗を問わず一つをほめてくれるんです。照れまくりですが、とても元気が出ました。有難いことです。「先生、20周年記念パーティをしよう。」といってくれました。「そこまであればね。」と言いましたが、新に目標ができました。また、元気を続ける予定です。

スタッフの協力のお陰で、日記が書けるようになりました。有難うございます。

2009年
〈5月〉
 この日曜日に、多分1年ぶりに釣りに行きました。竿先に魚の感触を得て釣果にもかかわらず、興奮しました。今はもう桜の花が散り、うす緑色をした若葉の間をくぐり抜けるやわらかな陽の光や潮風に囲まれて、食べるお弁当はとてもおいしく、会話もはずみます。あの冬が遠くに思えます。それぞれが、あの冬を乗り越えて成長していきます。その姿をそばで見させて頂く事で、とても元気をもらえます。彼らが辛いときや不安なときに、ただそばにいるだけでもいい。心をいやしてくれる桜の花や葉や風のように、ゆとりのある心でいたい。


 連休の間に、山口県大島へキャンプに行って来ました。、2日目の朝、午前7:00釣りに出かけました。普段ですと、こんなに早く釣りに出かけることがないのですが、キャンプならではの早起きです。漁港の突堤から見下ろす海はブルーとグリーンで地中海の様(行ったことないけれど)で、透明度が抜群です。娘の第1投で早速、当りが来ましたが、小さなフグでした。 長男も第1投すぐに当りが来て、ツノやヒレに毒のあるハオコゼを釣りました。彼はそれを知らなくて、手でしっかりそれを握って,抜けない針をはずそうとしていました。多少釣りをした人なら、恐さを知っていますよね。叫び上げました。「ハーナーセー!!」周りの人達も彼も凝り固まりました。「ハ」と「ナ」の発声のわずかな間に、恐怖が脳裏に浮かび上がりました。彼がさされた指先を片方の手でぎゅっと押さえ、体を震わせ泣き叫ぶ姿が・・。子供が泣き叫ぶ姿など、決して親は見たくない。彼は父親の悲痛な叫びを聞いて、体をびくんとさせながらも、ハオコゼを掌から、するりと上手に落としました。それは、スローモーションでした。ゆっくりと落ちていくハオコゼの胸ビレが2回揺らいだのさえ見えました。それが指から放たれた瞬間、張りつめたものが解放されました。凍り付いたものが、頭の先から下の方に音を立てながら解けていきました。安堵感で、体が満タンになったとき、「お父さん。」と、かよわい声が・・。その方を振り向くと、ナント棒立ちになっていた娘の指先には、ハオコゼが・・。



 只今、午前0時、あれだけにぎやかだった教室や事務室はひっそりと静まりかえり、もう誰もいません。ベランダ側のドアーを開けておくと、夜気と共に涼しい風が入ってきます。とても心地よい時間です。 保護者の方からのメールの返事や今日残った仕事、明日に備えての事やらを済ませると、後は好き放題に遊べます。カープの勝利を聞いて、試合の詳細を見たり、音楽を聴いたり、心地よすぎると、いびきをかいて寝込んでしまったりします。今は、とてもゆったりして過ごせていて、多少わずらわしいことが起きても、多分上手に対処できるでしょう。なのに、授業が始まると、そのゆったりした気持ちを忘れて、凝り固まったものを、子供達に押しつけようとしています。冬のストーブは重宝がられますが、夏のストーブは嫌われます。嫌われたら誰もそばに寄ってきません。しかし、「言わんのはいけん。」ですから、それを上手に伝える方法をあれこれ考えて、試してみるのですが、一発ホームランはありません。どうやら、ほめてやりながら、注意するのが、最良の方法のようですが、心がゆったりしていないと上手に出来ません。日々、是反省。

2010年
〈1月〉
 
明けまして、おめでとうございます。皆様のご支援・ご協力のお陰で、昨年9月には創立13年を過ごす事ができ、また、新たな年を迎えることできました。ありがとうございます。ただいま、冬期講習期間中です。1/6までですが、受験生をはじめ小中高生が勉強ということを通じて、自らを研鑽(少しオーバーかな?)、楽しんで取り組んでくれています。楽しんで、自己を発見する事に今年は、いえ、今年もこだわっていきます。よろしくお願いいたします



〈5月〉
 朝夕に登校・下校する真新しい少し大き目の制服の高校生を目にします。どの制服姿も輝いて見えます。中3の受験生として在籍していた子たちの顔が重なります。あの厳しい、まさに先が見えない受験最中の冬、不安と焦りを象徴するかのような冬を耐え忍んで、つかまえた”春”。それなのに、あの桜の花びらは、次の世代へのバトンタッチとして、散っていきます。新中3として授業を受けている、この前まで中2の顔をした子たちも、なぜかすでに中3の顔をし始めているのです。まだ、春の名残はありますが、すでに景色は季節を変わろうとしています。また、子たちから、元気を頂ける一年が始まっていきます。彼らにとっての春を目指して・・。


〈9月〉
 今年の夏、島根県で一泊した時の夜空からこぼれんばかりの星達を見ました。これを子供達に見せてあげたいと、安芸高田の山間地に合宿地を求めました。受験生だけでなく小5・6標準コース生合計6名で臨みました。午前10時に到着して、あくる日お昼まで9時間におよぶ勉強特訓は最後までだれることなく取り組んでくれ、勉強の成果に互いに顔を見合わせ驚くばかりでした。できないと決めてかかることよりも、まずはやってみることの再確認ができました。夜は曇りでしたので、残念ながら星空観察は果たせませんでしたが、肝試しで盛り上がりました。曇りのおかげで、次回の合宿の企画に取り組めます。乞う期待!


昔懐かし“ 蒸気機関車 ”

今年もやっぱり寒い冬が、きっちりやってきました。焼いもやおでんのおいしい、こたつで過ごす冬。一方、雪があたり一面を覆っている白銀の世界では厳しい自然がある。固く降り積もった雪の割れ目から覗いてみると、凍てつく土の中に、けもの達が息を潜めている。隙間風に揺らぐ柔毛。微かな呼吸に合わせ、静かに上下に揺れるうすい肌色がほのかな体温を感じさせる。その肌色の下をはい巡る波打つ血管の中では、赤い血が熱くたぎり鼓動を生んでいます。あの春をじっと耐えて待っている。
 何十年か前、黒い鎧を身にまとった蒸気機関車が炉に赤々と炎を上げ、どこまでも続くレールの上を、子達の見上げる目線と歓声だけをささやかな幸せにして、走り続けていた。「やらんといけんなー。でも、やる気が起こらん。一番効果的な方法はないかナー。」と、ついこぼしてしまっている人はたぶん時代が変わっても大勢いますよね。蒸気機関車は動き始める時に「ゴットン」、一番大きなエネルギーを必要とします。「シュッシュ」、しかも、なかなかスピードは上がらない。それでも「ゴットン、シュッシュ」最初のしんぼうをいかに楽しく過ごせ、そして少しの手応えでも、いかに喜べるか。勉強の仕方はここにあると考えます。楽しく勉強ができればよいですね。また、自信の付く結果になればよいですね。子達もとっくに帰ってしまった塾の窓を開け、透き通った夜空を見上げれば冬の星座。「帰って、おでん食べよ。」

 2011年
〈1月〉
 昨年、ある方から頂いた言葉があります。以下に表示します。
『勉強がつまらなくて、ただ来ている子はいませんか。
 悔しい受験の結果に泣いた子はいませんか。
 迷った時はいつでも初心に返りなさい。
 誠実さと謙虚。
 誰のお陰で今の仕事ができているのか、いつも肝に銘じておきなさい。』


 昨年だけでなく、今年だけでなく、この塾がある限り、頭の中に常に掲げて生きて行こうと考えています。


〈4月〉
 新年度が始まりました。小学6年生だった子たちは、中1としての授業が午後7時半からの開始となり、生活習慣が今までとはガラリと変わってしまいます。
昨日まで夜9時に寝ていた子もいるわけですから。午後9時にもなってくると「眠たい。」を連発していました。周りにもしっかり対応して育っていく子供たちで、あまり心配をする必要もないのでしょうが、こちらが年取ると孫のように思ってしまうのでしょう。既に決まっている時間割をいじろうとしている自分に気がつきます。まだ、始まったばかりですから、子供たちの様子を見ながら、体や精神の成長に合わせてあげられるのは、子供たちが見える小さな塾だからと少し自慢をしています。


 この日曜日に、多分1年ぶりに釣りに行きました。竿先に魚の感触を得て釣果にもかかわらず、興奮しました。今はもう桜の花が散り、うす緑色をした若葉の間をくぐり抜けるやわらかな陽の光や潮風に囲まれて、食べるお弁当はとてもおいしく、会話もはずみます。あの寒い冬が遠くに思えます。それぞれが、不安と自分に真正面から向き合って戦わなければならない、厳しい冬を乗り越えて成長していきます。その姿をそばで見させて頂く事で、とても元気をもらえます。彼らが辛いときや不安なときに、ただそばにいるだけでもいい。心をいやしてくれる桜の花や葉や風のように、ゆとりのある心でいたい。


 9月の授業の様子をお知らせする『進度票』を送付させて頂きます。毎回授業の度に小学生は笑わせてくれます。なんておもしろいんでしょう。ただ、その事と理解とは別になりますが、それでも嫌いにならないことが第一かなとも考えられます。ますます、好きになってもらえるように取り組むつもりです。しかし、中学生は定期テスト対策があり、まだまだ理解できていない所も目に付きますで、叱ってばかりになって、家に帰る自転車のペダルをこぎながら反省一しきりで、自転車が倒れそうになります。今度顔を合わせたら、ほめちぎってやろうと準備万端整えようとしている所です。

2012年  
 毎回出席ごとに授業内容を『進度票』に記入して頂いております。幸せな事に授業毎に子達より元気を頂いております。「こんにちは」「先生、分らん教えて」「わかったよ」「楽しい」「ありがとうございました」「笑顔」は最高のごちそうです。ますます太ってしまいそうです。しかし、いい事ばかりは起こりません。授業が終了し塾に一人になった夜半、指導者として至らない部分が悲鳴を上げてしまう時があります。毎日元気をもらっている子達に元気がなくなっているまさにその時にお返しをしなくてはならないのに、それができていなかった事に気がつき、とても落ち込んでしまいます。そんな事なので、その日の授業内容をご家族にご報告させて頂くと共に、彼達と授業を楽しく過ごせた事や励ましや詫びの気持ちを『進度票』に記入させて頂き、それが少しでも子達に伝われば、また元気を取り戻して頂けるならと取り組んでいる所です。言葉足らずの所も多々ありましょうが、彼達により良い助言の足しにして頂ければ幸いです。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

 2012年 冬     『 星 』
 2年前のちょうど今頃にちょっとしたことから夜空の星を眺めるようになりました。もちろん寒い時期ですから長い時間ではないのですが、よく晴れた日には10分ほど見上げています。なにか落着くんです。一昨夜、洋光台で中学生のバスの送りをし終わった時の事です。他塾のバスから降りて来た男の子がバス停でじっと何かを見上げています。何だろうと一緒に見上げてみると、晴天の星空でした。離れた所に車を止めて星空と彼の様子を見ていました。おそらく彼は受験生であり、塾でその日に理科の「星」を学習したのでしょう。それを確認しようと思ったのでしょうね。しかし、それだけなら3分間もあれば済むでしょう。彼は家に帰る事も寒さも忘れたように、輝く星に見入っていました。彼が過ごしてきた“今まで”とは違う感覚が自分の中にある事に気がついた事でしょう。しばらくして、息を白く吐きながらゆっくりと家の方へと向かって歩いて行きました。蝶がさなぎから脱皮して濡れた羽がしだいに開いていく、そんな所を見させて頂いた事で少し興奮と元気を頂きました。そんな有難い日々を過ごさせて頂いております。

  2013年  ”春”

 眠っていた虫も動き始める春となりました。♪つくしの子が・・・・ 顔を出します。もうすぐ春ですねエ、ちょっと気取ってみませんか・・・。こんな歌詞だったような気がします。覚えるつもりもなかったのですが、自然に覚えていました。その当時盛んに聞こえていた時は忘れる事さえ考えませんでしたが、何十年もたつと、やっぱり忘れてしまいます。年に何回かは耳にしますのに・・。それともやっぱり衰え? 最近よく物忘れをします。最悪は、忘れた事を忘れている? アルツハイマーか認知症? いえいえ、そう言えば昔からだった! 
 塾生に「あの時あれだけやったのに、まだこんなん覚えてないの?」って言いたくなる時がありますが、言えた義理ではありません。小学生から高校生まで、大学生・大学院の講師までが身近にいますが、彼達は伸び盛り、体力は衰え知らず、ますます頂点へ向けて勢いよく駆け上がっていきます。失敗もたくさんしますが、大人がそうしたように、それさえも彼らは踏み台にして伸びていきます。まるで、“つくし”のよう・・。そお、回り道をしてもいい。しっかり上を向いてその時その場で自分の隠れた才能の一部を発見して元気になりながら、もっと伸びていく自分を信じていく事が大事でしょう。
 どなたにとっても肉体の衰えは禁じえないでしょう。しかし、鏡に映す自分の顔は笑顔で、さらに、頭の中はいつも青春真っ盛りでいたいものです。今まさに頭の中は春、春。


 

            
飛び跳ねる長〜い影からすでに半年

陽が長くなりました。もう夏至を迎える6月ですからね。冬の夕方、塾バスで小学生の迎えに行くと、バス停で小学生の長〜い影が飛び跳ねて待ってくれていましたのに・・。

理科の授業で「太陽と地球と月」の勉強をします。季節にもよりますが、太陽は赤道上では頭のま上を通りますし、北極圏では太陽が水平線上に少ししか顔を出さない時期もありますから、そこではきっと白熊の長〜い影ができるんでしょうね。ここ日本ではどの方向から太陽が上がるのか、分からなかったり、太陽は頭のま上を通ると勘違いしている子もいます。それは、太陽は勝手に上がるものだと考えているからです。知らないからではありますが、誰彼かかわらず、人間はいかに自分中心で物事を見ているかが分かります。知識や事実を認識したり学習したりという事は自分中心だけで物事を見てはいけないという事を学習しているのかもしれないなと、ふと彼達の言葉を聞いて考える次第です。「あっ、そうなんだ!」という気づきは彼達の頭脳の広がりへの気づきでもあります。分からない時は「こんな事今きいたら、自分がはずかしい。」と考えます。しかし、ある事を理解できたり、気付いた瞬間には「自分が!自分が!」という自分はいません。それが大事なんだろうなと考えるこの頃です。


  H25年度 夏期講習会が始まりました。

講習会が始まって5日間が過ぎました。やっとペースがつかめてきました。普段、遅くまで塾にいる事に慣れているものですから、朝に弱いのです。小学生の迎えや教室の掃除に遅れないようにするために、目覚まし2個で午前7:00にやっとこせーで起きています。しかし、小学生は朝から元気いっぱいです。ここの塾だけではないんでしょうが、気押されてしまいます。部屋いっぱいにパワーがあふれています。お陰さまで、しっかり目が覚めますし、元気がもらえます。来週からは1日間の時間配分も上手にできてくるでしょう。明日、明後日の2日間でしっかりリフレッシュして登場するからね。待っとけよ、小さな宇宙人達。一緒に遊んであげるから。来週水曜日には『おもしろ理科科学実験もあるぞ!』









 
H25年 夏 真っ盛り、子達も真っ黒、元気真っ盛り.

突刺すような太陽の光線、蜃気楼のように揺らぐ遠くの景色、真っ青な空に白の油絵の具を塗り重ねたような入道雲、蝉の声。それらを激しい雨が、夕立が暗い気配と共にあっという間にやって来て、ざあーッと一瞬にしてかき消してしまいます。
夏のそんな気配になると、ある小学生とそのお母さんを思い出します。まゆ毛の位置が八の字で、ひょうきんな事を言っては周りを笑わせる彼が入塾してきました。それから間なしの7月の頃、その夕立と授業開始時刻が重なってしまいました。その彼のお母さんから電話がかかってきました。強い雨音のせいで、電話からの声も途切れ途切れによく聞こえません。「今日は・・・こんなひどい雨・・・・息子は溶けてしまいますので・・・・休ませます。」お母さんの顔を思い浮かべながら、いいなァ こんな余裕のある人素敵だな、とうれしくなって微笑んでいました。次の授業の時に、彼にそれを伝えると「おかあさん、そんなこと言ったのかなァ。」と首をひねっていました。その時、電話口のそばにいたのかも知れません。君のお母さん、素敵なお母さんだねえ。彼は少し照れていました。次の日、彼が塾に来るなり、「先生、お母さん、そんなこと言ってないって、言ったよ。」 お母さんはネ、「こんな大雨だと、息子がこけるかもしれないので休ませます。」と言ったんだって。いずれにしても、ひょうきんな素敵なお母さんでありました。
H25年 9月 

この夏、何日も続く焼けつくような日照りで、トマトの葉もしおれてしまいました。打って変わって長雨が続きましたが、あちこちから多大な被害の声が聞かれますのに、何事もなかったかのように、空は無責任にカラッと晴上ってしまいました。「この惨状で、何をしたらいいの? 明日をどう過ごす? 昨日までと同じ生活を、命を返してくれ!」という声がニュースから聞こえます。そのたびに、居たたまれないやるせない悲しい気持ちになってしまいます。  どうしようも防ぎようもない自然災害に、人間の力の小ささと悲しさを改めて知らされます。「自然」と真正面 から向き合う生業で生活をされている方は気の持ち方に芯があるような気がします。自然を相手に幾度も裏切られ、それでも立ち上がってきた経験の上に、腹にすえかねても命にかかわらないのであれば、それを包み込む鷹揚さがあるような気がします。どんなに手を加えても結果が出てこないこともしばしばですが、生えてくる“芽”の愛おしさが辛さを希望に替えられるのでしょうね。今年がだめなら、しっかり準備しながらじっと我慢をして、また来年の収穫を待つ辛抱強さが生産者の顔のしわに刻み込まれているように見えます。
 「先生、田んぼ上げるよ。やってみんさい、やせるよ。」と言って頂きますが、想像もつかない農家の方の苦労と性根と優しさを考えると、最初から尻込みしてしまいます。まさしく田舎の風景の下、トウモロコシを畑のその場でもぎ採り、そのままかじると甘〜い果実の味、スーパーで売っている物とは違います。この1本を食せる事を「幸せ」と感じる事も出来ず、当たり前と思ってしまっていた自分がいた事に気づかされます。実家の小さな畑で、自分でも何か作り始めよう。必ず、何か得るものがあるはずですよね。

 

H25年 10月   「白い杖」      

先日、友人と紙屋町に食事に行った時の事です。日曜日という事もあって、通りは大勢の歩行者で混み合っていました。歩行者の流れから、取り残されそうに遅れがちになっている白い杖の男の方の背が見えました。その方の横を遠慮がちに通り抜けた時、ドーンという音と物が落ちる音が聞こえて振り向くと、前から歩いて来られた女性の方と真正面からぶつかってしまわれていました。友人が言うには、人混みの中で前方から歩いて来られたその女性も白い杖をついた目の不自由な方であったそうです。幅30cmほどの点字ブロックの細い道が目の不自由な方のためにありますが、その方達が互いに逆方向に歩かれたら衝突するのは当たり前の事です。誰のための歩道なのでしょう。整備されたきれいな歩道を当たり前のように歩いていましたが、その時まで考えも気づきもしなかった事でした。

                       H25年11月

     「ギニア少年の手紙」

授業中に真剣に取り組む塾生達を見て、ふと何年か前に耳にした胸を打たれる事件を思い出しましたので、一部掲載文を引用しながら、書かせて頂きます。

 アフリカ西部ほぼ赤道直下にある国ギニアは以前フランス領でしたが、植民地支配より独立した国です。しかし、この国の独立は多くの場合と同じように国民のためではありませんでした。経済・産業は外国勢力に牛耳られ、富は外国の企業に集中するように、また一部のギニア官僚・富裕層に留まるようになっていて、国民の多くは貧困・飢餓に苦しんでいます。ギニアのある町はずれで、貧しい家庭の少年達
6人が集まってはいつも将来の夢を語っていました。皆は裕福に暮らしているフランス人・白人を見て、憧れていました。勉強して賢くなれば、夢がかなえられると・・。その中の二人は医者になるためにフランスに行って学びたいと熱く語っていました。14歳ヤギンと15歳フォンデです。貧しさの故、この少年のどちらかの母親は子を捨ててフランスで家政婦として暮らしています。それもあったのかもしれません。飛行機の車輪格納庫にもぐりこみ、フランスに密航する計画を立て1999720日前後に決行しました。しかし、他の4人はこわくなって諦めました。
 
199982日ブリュッセルの空港で、臭いに気がついた空港職員が飛行機の車輪格納庫から2人の遺体を発見しました。死因は酸欠・凍死。フランスは寒いらしいから、毛糸の帽子にセーター、しかし素足にサンダルという格好でした。ジェット機は空気抵抗の少ない高度1万mを飛びます。酸素が充分なはずはありません。そしてマイナス55度以上にもなる寒さに耐えられるはずがありません。赤道直下ギニアで充分な教育を受けていない彼らには想像もつかない温度や状況です。ヤギン少年の胸ポケットからスペルの間違いもあったようですが、「ヨーロッパの責任者の皆さまへ」と題された、二人して頬を寄せて希望に胸ふくらませながら書いたであろうフランス語の手紙が見つかりました。
 「ヨーロッパの指導者のみなさん、僕たちは戦争・病気・飢餓に苦しんでいます。 充分な食料も教育も受けられないままです。貧困と闘い戦争に終止符を打つためにはあなた方が必要です。僕らもヨーロッパのみんなと同じように勉強がしたい。 どうか、アフリカを救ってください。そのために、僕たちは命をかけます」。